スペシャルインタビュー村山二朗さん 2018金沢文庫芸術祭

スペシャルインタビュー

篠笛奏者 村山二朗さん

金沢文庫芸術祭 第1回から毎年アートラリーに参加していただいている村山二朗さんは、今年オープニングフェスティバルのファイナルステージで演奏くださいます。
お話しを伺うことができましたのでご紹介します。

二朗さんはアートラリーにいつも出演してくださっていますね。

村山はい、第1回から参加していて20年間ずっと出ています。
スペシャルライブに参加するのは5,10,15そして今年の20回目で合計4回目です。

だから今年は積み上げて来たものを発揮したい!と、とても意気込んでいます!
僕が今年50歳で、音楽活動30年。50年、30年、20回、節目の年ですね。

音楽との出会いはいつだったのでしょうか?

村山僕の家は勤め人の家庭でしたが、父がJazzのレコードを買ってきたり、コンサートに連れて行ってくれましてね。それでJazzがすごく好きになって。

Jazzといってもモダンからスウィングなどいろいろジャンルがありますが?

村山父はモダンジャズ、僕はフュージョンです。その頃、渡辺貞夫さんとか、日野皓正さんがフュージョン演ってらっしゃいましてね。小学校5年のとき「トランペットを習わせてほしい」と親に頼んで習わせてもらいました。

小学生ではじめからトランペットだったんですか?学校の吹奏楽部ではなく、個人レッスンの?

村山そう。教室に通いました。

プロを目指そうと思われたのはいつくらいでしたか?

村山15歳で決めていました。演奏家になりたかったんです。その年頃はサックスを吹いていました。
中学3年のときに決めましたが、普通高校を出て、音楽の専門学校へ進みました。
16歳のときにナベサダ(渡辺貞夫)さんのご自宅に「ボーヤにしてください」と頼みに伺いました。
結果的には丁重に断られましたが親身にいろいろとアドバイスをくださり、中でも心に響いた言葉は「Jazzは英語が話せなくてはだめだ。英語でしゃべるように演奏しなさい。」と、いうこと。
それで18歳になるまで「どうしたらプロの音楽家になれるだろうか?」とずっと考え続けていました。

当時目をつけたのが早稲田大学の”モダンジャズ研究会”通称「ダンモ」というサークル。
専門学生の時でした。ここはすごかったのです。OBには山下洋輔さん、タモリさんなどを輩出していましてね。
どうにか潜り込めないか、と思って、ツテも無いままいきなり早稲田大学を訪ねました。通りがかりの学生に「ダンモってどこにありますか?」って広いキャンパス内を尋ね歩き、ようやく部室に辿り着きました。会員らしき人に会えて入会法を教えてもらいました。

行動的、能動的だったのですね。

村山自分で押しかけて、切開くということを続けていました。
音楽を通していろんな国の人と交流する、という目標が根底にあって。
そのためにどうすればよいかを常日頃から考えていたのです。

1年間ダンモで活動しましたが、自分より上手い人がいて、自分の技量の位置を知りました。
それでまた見つめ直したのです。Jazzはそもそもアメリカの黒人社会の中で育まれた音楽で、生まれながらにそういう生活環境、リズム感を身につけた人が演奏しているわけです。
こりゃ敵わないなって… 。
よく、日本の先輩ミュージシャンが渡米して勉強したという話を聞きますが、20歳から留学したとしてもネイティヴに黒人文化に触れている人達に対しては到底追いつける自信がない。
そうして一旦Jazzは封印して、自分の武器になるもの、自分にしかできないことはなんだろうと考えました。海外でも通用するものを身につけたい、生まれ育った環境を武器にしたい。
日本人としての民族性を活かして海外で演奏しよう、と。

それで鼓童に入られたのですか?

村山はい、
1988年に鼓童(佐渡島に拠点を置く太鼓芸能集団)の研修生となり、`89年にメンバーとしてプロデビューして国内ツアー、北米ツアーを経験しました。
笛の演奏力については過去に習ったことのある、トランペットやサックスと比較すると上達速度が3倍早いな、と自己分析できましたので、当時は稽古を相当にしていました。

篠笛という楽器は金管楽器と同じくらいの音量が出せますし、ソロ演奏向きです。
だんだん、まだ誰もやっていないことをやりたい!オリジナルを作りたいと意識し始めました。
退団後、和洋楽器混成の篠笛バンド「レブンカムイ」の活動を開始して「東京打撃団(和太鼓集団)」旗揚げにも参加しました。
ヨーロッパ、アフリカ、東南アジア、メキシコなど27カ国コンサートに呼んでもらっています。
各地でいろいろと反響がありますが、ロスアンジェルスのゴスペル黒人ミュージシャンに「ソウルがあるね!」と言われた事はとても嬉しく印象に残っています。

「誰もやっていないこと」を生み出すのはむずかしいことだと思います。どのように考えていらっしゃるのでしょうか?

村山誰もやっていないことというのは、「手本」がないので、発明、アイデアがとても重要だと考える
ようになりました。だから、アレンジも創意工夫をし、あるいは新しい楽器を生み出したり。
僕のオリジナル曲は和楽器を使ったクロスオーバーですが、世の人に受け入れられることと、自分らしい個性との両立を、ほどよい塩梅で表現していこうと心がけています。

紆余曲折あっても続けられたのはなぜですか?

村山つらいことはいっぱいあったけれど、辞めたいとは一度も思ったことないですね。
25年前、都内のライブハウスに出たいと言っても「はあ?和楽器?・・・」と断られることがほとんどでしたが、それでも認めてくれる小屋も僅かにあったので、実績を積み重ねて拡げていきました。
「こういう音楽スタイルもいいね」と言ってくれる人の言葉を心の糧にしました。
今では大衆ウケをしなくとも、例えば1/3の人から良い!って言ってもらえたら、ま、いいかと、思うようにしています。

音楽家として感性を鋭くするのは大切だと思うのですが、日頃から心がけられていることはありますか?

村山職業が違ってもプロの技を見たり聞いたりして刺激を受けています。たとえば、バイクが好きで休日にいじったりしていますが、部品の精度が高いとプロの技と誇りを感じますね。
それから一生懸命になり近づきすぎると見落とすこともあるので、少し離れてバランスを見るのが大切だと考えています。植木の剪定のように。

金沢文庫芸術祭について伺います。参加して良い、と思われる点はありますか?

村山自己表現の場があるということ。こどもたちに親や学校の先生以外の大人とつながる機会があるということでしょうか。
僕としては今回、ファイナルステージで演奏するのですが、曲を作ってそれに合わせて踊りをつけてくれる人たちがいます。音楽から絆が生まれていくことが嬉しいですね。
大人の本気を子どもたちに見て欲しいです。

二朗さん、お忙しい中、長時間にわたりお答えくださいましてありがとうございました。
11/3にコンサートが開かれます。こちらも足をお運びください。

篠笛 村山 二朗 活動 30周年 コンサート 謝恩祭

  • 2018年 11月 3日 (文化の日)
  • 開場 17:30 / 開演 18:00
  • 横浜 赤レンガ倉庫1号館 ホール
  • 公式URL:http://lebunkamuy.com/info/

プロフィール

村山二朗(篠笛)
むらやま じろう:1968年横浜市金沢区に生まれる。
`89年に和太鼓集団「鼓童」のメンバーとしてプロデビュー。
`91年に縄文・自然・祭をテーマにした自己バンド「レブンカムイ」を結成、
和洋楽器混成ユニットのパイオニア。ホールやライブハウスはもとより、ジャズフェスティバル、太鼓フェスティバル、神社仏閣、ギャラリー、 酒蔵、学校公演など様々な空間で演奏を展開。多彩な音色の曲作りに定評があり、これまでにアルバム「沙也可-SAYAKA-」(MIDIレコード)を含む6枚のCDアルバムを発表。
また、奏者としての主な舞台として、木の実ナナ主演ミュージカル「阿国」、阿木燿子プロデュース「フラメンコ曽根崎心中」、和太鼓公演「東京打撃団」などの他、海外27ヶ国で篠笛の魅力を紹介。2014年に世界初となるカーボンファイバー篠笛を開発する。
2016年にアニメ映画「君の名は。」の劇中音楽の作曲と笛・太鼓の演奏を担当した。著書に篠笛入門書「イラストで見る篠笛」「ワークショップ」、日本各地の伝統芸能を取材し採譜した「日本の祭 笛・太鼓名曲集」(いずれも音楽之友社刊)がある。
2018年の今年、最新アルバムを10月にリリース予定。